危機的な教員状況

  • 2015.03.29 Sunday
  • 22:32
「好きな作家はいません」
「小説を最後まで読んだことはありません」
「夏目漱石の小説も、1つも読み切ったことはありません」

これらは、高校生の発言ではありません。
現役の中学・高校の国語科の教員の発言です。

「旅行は嫌いです。歴史的なものを見には行きません」

これも同じく、生徒の発言ではありません。
現役の高校で日本史を教えている教員の発言です。

20代の現役教員の発言に唖然としたのはもちろんですが、
それ以上に、これらを「恥ずかしいこと」と微塵も感じておらず
むしろ、臆面もなく放言するその神経に、寒気すら感じざるを得ません。

前述の国語科教員は「どうやって問題を解けばよいのかを視点に授業を行っている」とのこと。
彼の論理でいくと、国語の授業は「効率よく正解を得るためのテクニックを磨くためのもの」
ということになるのであろう。

果たしてそれは「教育」なのだろうか、「学問」なのだろうか。
私ははっきりと「否」と言いたい。

ただ、彼らだけを批判はできない。
それは彼らが受けてきた教育(という名のモノ)の影響が大いにあるだろう。

どんなことを考えていようと、どんな個性があろうとも、
所詮はテストの点がよければ成績は上がる。
入試問題の点数がよければ、有名大学に入学できる。
すべては「テストの点数」で評価、学歴が決まるのである。

必然、彼らの中では、テストの点数、学校からの成績評価が最重要項目となる。
必然、テストの点数を得るための努力が最優先事項となる。
必然、それ以外の社会への関心、それ以外の価値観は遮断される。

こうして彼らは、「テストで高得点を得る」ということに集中し、
テクニックを磨いて特化し、そして成功した。

そしてその学校での成功体験が、
「自分は教員としてやっていけるだろう」という自信を生み出し、教員への道を後押ししているように思う。

でも、やはり彼らには自問してほしい。

読書もしない教員が、作家の想いをどうやって伝えることができるのだろうか。

見聞もしない教員が、実際に生きた人間の様をどうやって伝えることができるのだろうか。

そして、それ以上に、自分の授業は面白いのか、ということを。

テストの点数を取らせること、有名大学に合格させること。
それが今の高校(特に私学)では最重要課題になっているが、
そんなしがらみの中にあっても私は、さらに学問としての面白さ、
教養としての深み、発見する喜び、自分の経験を子供たちに伝えたいと思っている。
そして、そのためには多くのモノを見る、体験する、学習する、そしてわくわくするという、
終わりのない修養を積み重ねていくことが必要不可欠だと思っている。

無邪気に話す彼らは、残念ながら言ってもわからない。
壁にぶつかり、悩み苦しみ自ら考えない限り、長年の考え・価値観は変わらないのだから。

最後に私は、教員採用の現場にモノを申したい。

テストの点数を取れれば、大学に進学でき、単位が取得でき、教員免許状も取得できる。
だからこそ、採用の際にはテストだけでなく、その人間の奥の深さ、面白さを見る試験をしてほしいと。

以前の職場の同僚が就職最終面接の際に、自身の失恋の話をして合格となった。

どんなことを考えているのか、どんな経験をしたのか、人間として面白いか、
多様な価値観を持っているのか、臨機応変な対応ができる柔軟性があるのか、
そして、どんな教育理念を持っているのか、

そんなところを洗いざらいにする、採用試験を行ってください。

表現の自由が通じない沸点

  • 2015.01.19 Monday
  • 23:45
「Je suis Charlie」
300万人を超えるフランスの人々が、このプラカードを掲げて集まり
大規模な「表現の自由」を守るためのデモを行ったこと。

そして、シャルリーエブド紙が「ムハンマドの顔をはっきり描いた風刺画」を掲載したこと。

このことに対して、私はやはり違和感を抱かざるを得ない。

そもそも、「表現の自由」ってなんだ。
自己表現したいことを自由に表現することか。
確かにそうかもしれない。

ただ、無人島にいるわけではない我々人間が、気軽に無制限に自由を振りかざすことはできないこと、
自由と周囲の幸福(憲法的には「公共の福祉」ともいうのか)を折り合いをつけなくてはいけないこと、
一旦行ってしまったことには、必ずそして永遠にその責任がつきまとうこと
(これは報道機関であるならばなおさら。朝日新聞の慰安婦報道や吉田証言など、例はいくらでもある)

そんなことは、私がわざわざ言わなくてもいいくらい、ある種当たり前のことではないだろうか。

そして、人間には「理屈以上に本能的に許せないこと」、ある種の沸点が存在する。

コーランで偶像崇拝を明確に禁じている以上、イスラムにとって
アッラーや預言者ムハンマドを形にすることは本当にタブーである。

それを百も承知であえて顔まではっきり描いてしまうシャルリーエブド紙。

これは「表現の自由だ」とか「洒落を理解しろ」とかそんなことを言ってもムスリムにとっては受け入れられないであろう。
だって、これこそが「理屈以上に本能的に許せないこと」であるはずだからだ。

日本史教師の私は、フランス人で風刺画なんていうと明治期のビゴーのトバエなんかが頭に浮かんでしまうが
そもそも風刺画とは「ある種の批判・皮肉」を「一目でわかるよう」に「ある種の滑稽さを踏まえ」て
「社会に問題提起することを目的」に描くものであろう。

では、今回のテロに関して、ムハンマドは批判されるべき対象なのか、問題となる対象なのか、

いや、ムハンマドは、そして大多数のムスリムは関係ないのである。

なのに、なぜこのような風刺画を描くのであろうか。
ムスリムを本能的に怒らせるだけなのに。
そして、本能的に怒らせることに何の意味も見出さないのに。

本能的に許せない沸点は、どんな人・民族・国にも存在する。
それを理解する、しようとする気持ちを持つことは、この瞬時に情報が行き交い交錯するこの世では
とても大切な部分であると思う。

そして、この沸点は日本人にも当然ある。

それは、サザンオールスターズの桑田圭祐がとった
「紫綬褒章を軽んじたようなパフォーマンス」に対して沸騰した。
日本人にとっては、やはり天皇というのが1つの沸点なのでしょうね。
国民栄誉賞をもらって同じことをしても、ここまで批判が高まらなかったでしょう。

表現の自由とは、やはり人々の幸福、心の平穏を冒してまで尊重されるものではないだろう。
社会の中で生きる人間にとって、本当に自由奔放にできるのは「頭の中だけ」だと思う。
それはある種残念で息苦しい。でもそれが確実に現実なのだろうと思うのだ。

ノーベル平和賞

  • 2014.10.11 Saturday
  • 00:26
2014年のノーベル平和賞、いろいろな憶測があったものの、
マララ・ユスフザイさんと、カイラシュ・サティアルテイさんが受賞しました。

貧しさゆえ労働を強いられる子どもを救う人、、
女性ゆえ教育を受けられない理不尽さに戦う人、
お二方とも様々な苦難を受けながらも
信念をもって立ち向かっている方とお見受けします。
本当におめでとうございます。

そして、ほっとしたのも事実。
とある「一般市民」を名乗る女性が始めた
「憲法9条にノーベル平和賞を」という運動。
モノは対象にならないために、対象は「日本国民」という。
これが受賞したら、本当に日本はおかしくなってしまうでしょう。

あのね、全員が今この憲法を賛成しているわけではないのですよ。
どこかの国ではあるまいし。

憲法9条を固持するため、世界的に著名な賞を利用する、
そして、日本全国民が賛同しているかのように宣伝する。
改憲という国内政治問題を、世界の場に出して力を乞う。

そんないびつな国際アピールは、
かえって日本の愚かさ、自分で自分のことを決められない脆弱さ、
所詮独り立ちできていない未成熟な国家であることを示しているようなものである。

改憲を阻止したいのであるならば、
もっと国民に向かって運動しましょうよ。国民に訴えましょうよ。
もっと賢い行動をとりましょうよ。

そんなことを思いました。

ノーベル賞平和賞がときにうさん臭く感じられることもある中、
今年は実際にスジを通して戦っている人が受賞して、本当に良かったと思います。

旅立ち

  • 2014.03.14 Friday
  • 23:26
実は今日、前勤務校の卒業式に行ってきました。

体調不良を理由に、結果的に子供たちを放り出してしまった私。
もう4年も前のことですが、そのうしろめたさを忘れたことはありませんでした。

今日、立派に高等学校過程を修了した姿を見届けて、
勝手ながらようやくほっとした次第です。

「人生は出会いと別れの連続」。
そんなことは当たり前ですが
今日の晴れの日を迎えた子供たちと出会えたこと、本当に感謝しています。

みんな、おめでとう。本当におめでとう。

8・6 広島原爆の日

  • 2013.08.06 Tuesday
  • 15:47


昭和20(1945)年8月6日 午前8時15分。
人類史上初めて原子爆弾が、広島に投下された…。

一瞬にして炭化して死亡した人
全身、内臓を焼かれて苦しみもがいて死亡した人、
放射能の後遺症をのちに発症して死亡した人、

みなほとんどが、戦争という時代に生まれてしまった一般人である。



たかだか3mほどしかない「little boy」。
これで15万人とも言われる人が死んだのだ。

日本が降伏しなかったから、
20億ドルという巨額費用を費やした「マンハッタン計画」を遂行しないと
アメリカ国内での政府批判は避けられないから、
日本上陸作戦で、アメリカ人兵士の犠牲者を出したくなかったから、

さまざまな「投下正当化理由」が挙げられているが
どんなことを言ったとしても、一般市民を無警告で大量虐殺した説明にはならない。

そして、やはり一番大きな理由は、ソ連の参戦を防ぐこと、
さらに戦後の日本占領政策をアメリカ主導で進めるためであった、と私は考えているし
もう日本は降伏寸前であったわけで、
原爆の威力を見せるためであるならば、人口密集地に落とす必要はない。

だから私は、「ヒロシマ・ナガサキの原爆投下で戦争を終結に導いた」という説明はしてほしくない。
いや、させてはいけないと思っている。



有名な碑文。
日本人の奥ゆかしさ、懐の深さは本当にすごいと思うよ。

ただ、モノ言えずに亡くなった人々の無念さを
「安らかに眠ってください」と曖昧にし続けることに、もうそろそろ違和感も感じる。

「なぜ私が死ななければならなかったのか。」

そんな無念な、悲痛な叫びが聞こえてくる。

「正しい共通歴史認識」というものは、立場・国家・価値観が違う以上、存在するはずがないが
様々な観点からのとらえ方、考え方はもちろんできる。

8月6日、8月9日、8月15日。

毎年繰り返されるこの日、亡くなった方の無念や労苦を偲び、祈るだけでなく
なぜ、どうしてということを考え、発信する日としていかなければなりませんね。



体罰・暴力と指導と指導者

  • 2013.02.01 Friday
  • 13:54
大阪市立桜宮高等学校の部活動における、体罰による自殺事件。

そして、全日本女子柔道監督による暴行(シゴキ)。

今はまさに、指導の場における適切な指導とは何か、
そして、指導者の指導力、指導理念が問われています。

自分も、スポーツではないけど、れっきとした指導者ですよね。
「ふ〜ん」とか、のうのう高みの見物してる場合でなく、
真剣に考えなければならないことでしょう。

さきほどテレビに出ていた、元陸上オリンピック選手・為末大さん、
いくつも的確な発言をされていたが、どきっとすることもしばしば。

「日本の指導って、「がんばれ」「がんばれ」、そして本番は「さらに頑張れ」って
根性論なんですよね。人間誰でも限界がある」

「目標をオリンピックと定めたならば、
それに向けてどのようなことをすればよいかを計画するべき。
日本ではオリンピックまでの間にもたくさんの目標を設定して、
(しかも、その時々にベストの結果を求められる)
最終的な目標達成までに力尽きてしまう」

以上は、彼の言葉を正確に記したものではないが、上記の趣旨の発言をされていた。

そして、番組中には、別のスポーツ指導者の方々の意見も。

「コミュニケーションをとることを大切にしている。
暴力をふるわれないと動けない選手はつくりたくない」
「暴力はイージーである。なぜなら、論理的に説明する方がよっぽど難しいからだ」

‐‐‐‐

なんで私が今まで以上に「どきっ」としたのか。
それは、今私が置かれている、いや、誤った指導に行きそうなところにあるからだとおもう。

もちろん、学習指導で暴力をふるった、あるいは暴力をふるって学習させようとしているのではない。
ただ、結果が思うようにでないことにいら立ち、焦ってしまい、
ともすると生徒に対して威圧的に対処し、恐怖・罰をもって学習させようとしてしまいそうだからだ。

先週模擬試験が行われた。

自己採点の結果、まったくふるわない生徒もちらほら散見する。

その結果に私は本当に腹が立ったし、
その生徒たちの授業態度、課題への取り組み方の生ぬるさにも、苛立ちを感じずにはいられない。

ただ、なぜ私はこんなに腹が立つのか、苛立つのか。

それは、彼らのことを心配してのことではなく
「こんなにやってあげてるのに、なんでわからないんだ」
「なんでこんな低い点しかとれないんだ」
「私をバカにしているのか」
という、結局“自分の思うようにいかないから”腹が立つのではないだろうか?

人間、どうしたら動くのだろうか?
それはやはり、自ら湧き出す向上心や目標を達成したいという欲求が、原動力になるはず。
その原動力を導き出し、そして本人の成長を支えるのが指導者の役割だろう。

また、「やらないと怒られる」というような、恐怖が支配する学習では
モチベーションが継続するはずもない。
人間、楽しくもないことを、長々と続けることは不可能なのだから。

学校批判にも繋がることに言及するのは避けるが、
自分は少し焦りすぎてたのではないか。

高校2年生の受験は、ちょうど1年後。

その1年後まで、継続した努力を続けることができるには、どのようなことをしたらよいか。

それを考えないといけません。

自分の焦り、そして自己保身の状況に気づけたこと
そして、生徒の力を引き出すためにどうしたらよいかを考える機会になった。

さあ、月曜からはもう少し生徒と向き合って話をしてみよう。

ああ、川崎の恥。恥ずかしや・・・。

  • 2012.10.14 Sunday
  • 11:16
城島光力財務大臣が、尖閣諸島をめぐる中国の不当抗議活動、および関係の硬直化について
「領土問題」と発言した。

何言ってんのよ。先日11日、NY総領事館の主席領事が
「法的にも歴史的にも日本の領土であることに疑問の余地はなく、解決すべき領土問題は存在しない」
って言ったばかりなのに、大臣が「領土問題」なんて言うその軽率さ・・・。

そもそも、こんな歴史認識に乏しい人間が、思慮の浅い人間が
川崎市のしかも自分の住む選挙区出身であることに本当に嫌気がさしてくるわ。

他にだれがいるかというと・・・
あの悪名高き 売国奴 千葉景子・・・。(参議院神奈川選挙区)

彼女は最終的に落選したから良かったものの、それまで連続当選を果たしています。

今の民主党には人材がいないんだね、
ただし、議員がアホなのは、選ぶ国民がアホだから。
「国民のため」なんていう甘言に、
目先の減税やらバラマキ財政(結局破綻)に、よく考えずにホイホイ騙されたため。

この閉塞感、停滞感を打破したいし、経済の浮上感も味わいたい。
中国・韓国・ロシアとの外交問題が今まで以上に露見している今
何か「新しいこと」「新しい力」に期待する気持ちは当然のことであるが、
彼らが何を考えているのか、その人間の根底にある思想を読み取ることが大事。

次の選挙では、自民党が躍進するだろうし、当然維新の会も票を集めるだろう。

ただ、みんなよくわかっているよね、いい加減。

よく吟味しようよ、先のことまで考えようよ、目先のニンジンに釣られないようにしようよ。

雑考:救急車

  • 2012.10.12 Friday
  • 22:54
一昨日の10月10日水曜日深夜1:30分、
人生初の救急車を要請して、初めてお世話になりました。

風邪をこじらせ咳が止まらず、むせ込むこと数時間、ついに喘息併発。
あまりの苦しさに「メプチンエアー」(発作時に使用する吸入薬剤)を吸ったところ
あっという間に「激しく速い動悸」「呼吸困難」に陥ってしまい
このままだと死んでしまうのでは?という恐ろしさから、夫にお願いして救急車要請になった次第。

結局は薬の副作用なわけで、点滴を3時間受けて朝5時に病院(近所。徒歩7〜8分)から出されました。

救急車。自分はそのお世話になることはないだろう、いや、お世話にならないぞ!と
思っていたもんだから、実際に乗ったことはショックです。
でも、それ以上に、人様にご迷惑をおかけしたこと、市税を無駄に使ったことを
本当に申し訳なく思う次第。

じゃあ、救急車1回の出動に、どれくらいのコストがかかるのか?

私の住む神奈川県および川崎市にはその試算はないが、
同じ政令指定都市の埼玉県さいたま市では、HP上に「行政サービスコスト一覧」をアップしている
そこを見てみると…、あ、ありました、「救急出動業務」、いわゆる救急車の出動ですな。

平成23年度、さいたま市での救急出動は 57,365件、
事業費・人件費・光熱費等を合わせると、合計総額はなんと 2,433,711,520円!!

これを出動回数で割り算すると、一回の出動で 42,425円かかる計算となっている。

1回4万円…。

気軽に呼んだつもりは毛頭ないが、所詮入院する必要がなかった「軽症患者」だった私。
川崎市のHPも、「救急搬送された約6割は、入院する必要のない軽症患者」であるとして、
救急車の適正利用を呼び掛けている。

実際には、本当に助かった気持ちになれたのも事実。
しかし、川崎市全域で26台ある救急車の1台を私が使っていたことで
もっと重症の人を運べなかった可能性もあるとすると、複雑な心境です。

水道水をそのまま飲める、救急車が0円である、こんな住みやすい国はそうそうない、とは
アフリカ地域などの実態に詳しい、作家の曽野綾子氏の談。
ただ、本当に必要な人に、迅速に対応できるためにも、
そして、言語道断だが、タクシー代わりに使うバカを撲滅するためにも
救急車の有料化(ただ、あんまり高くすると呼べなくなる人もいるので、1000円〜3000円くらいかしら?)も
本気で検討するべきなのかな?なんて思ったりしました。

竹島

  • 2012.08.12 Sunday
  • 00:55
竹島は日本の領土です。

「嘘つきは泥棒のはじまり」という言葉がありますが、
韓国は嘘つき(歴史歪曲)な上に泥棒(不法占拠)です。

絶対に許せません。

とりあえず以上。かなり苛立っていますので悪しからず。

献血に行ってきた

  • 2011.04.01 Friday
  • 22:34
「私みたいな小市民に今できることって
『金出すか』『血出すか』くらいしかないね。」

先日友人(コイツとは1週間の間に3回も会っていた。彼女状態だ、まるで)と
話したときの会話。
しかしながら、日本赤十字社のHPを見ると、同じことを考えてる人も多いらしく
震災直後から献血ルームには人が殺到しているらしい。
で、ちょっと待って、新年度のこの区切りのよい日に行ってきましたよ〜。

場所は、「みぞのくち献血ルーム」。
マルイと隣接するノクティプラザ10Fにあります。
NEC_0082.jpg

実は、相当な覚悟で行ってきました。
なんと実に9年ぶり。何度かの嫌な思い出により、いつの間にやら足が遠のいてしまっていた。

看護婦さんのミスで血管に針が刺さらず、何度も刺しなおされた挙句に
「あなた血管が細いからムリ」と言われ帰らされたり
(神経を傷つけられた痛みと、内出血の跡がしばらく消えなかった)
最高血圧が80しかなくて、強制的に帰らされたり、
血圧上げるために腕をしこたまぶたれたり、
気分が悪くなって卒倒したり…。

だからこそ、今回は相当がんばって行ってきた!!

では、その一部始終を。なんか今日4月1日から問診内容や問診方法(タッチパネル式)が変化したそうな。

ー付(2時15分くらいに到着)
 ・久々なので用紙に住所・氏名・電話番号・生年月日等を記入。
 ・旧姓を書いたら、旧姓でのデータが残っていました。
 ・前回の献血日はなんと、平成14年3月5日

▲皀縫拭鴫萍未鳳任圭个気譴詭篆任法▲織奪船撻鵑播える。
 ・結構細かくてびっくり。
 ・特に海外渡航歴についてと病歴が細かくなっている

0綮佞砲茲觀谿機μ篆
 ・血圧は最高90→ぎりぎりなので、「腕を振って気合い入れて!!」って言われ再検査。
 ・再検査では94でした。それでも低いね〜。
   →採決するまでに、温かいカフェイン入りのものを飲んでくれ、と言われる
 ・細かくてびっくりしたのは、「ささくれ(さかむけ)」のチェックもされたこと。
   →血が出てる箇所からバイ菌が入るため、血が出てる(止血直後も含む)ささくれやひび割れのある人も
    そこで「丁重にお断り」となるそうな。今日は大丈夫だったけど、普段の私ならばひっかかってた…。

じ〆査侶
 →森永のチョイスをもらう。チョイスと、言われた通りホットココアを戴き、しばし待つ。

ズ侶豎始
 ・今日は「成分献血(血漿)でした」
 ・私は血小板が多いらしく、血小板献血をお願いします、って言われたんだけど…。よくわかりません。
 ・針が痛いし怖かったけど、見ないようにしたら耐えられた。今までガン見してたから痛かったんだ。
 ・3:00頃開始→2サイクルで24分にて終了。はや〜い!!

 ・リクライニング&小型テレビ付き。結構快適。

Ε廛譽璽鵐箸鬚發蕕Αしばし休憩
 ・もらったのはコチラ↓。レトルトカレー2食。他には米・タオルなどもあり、中から1つを選ぶ。
201104012239001.jpg
 (昔学生時代のど貧乏の頃は、図書カード500円目当てに行ってたけどねww)
 ・カレー2食、ペットボトル飲料1本、クリアファイル1枚を合計でもらいました〜。

14:15着→15:45退散、合計1時間30分の社会貢献。
「痛い」「辛い」のが頭に残ってたけど、手際よくってみんな親切でよかった。
これからもぼちぼちと継続していこうかな。
NEC_0084.jpg

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